震災時、なぜ東京にいたのか?

2016年3月11日。

あの東日本大震災からちょうど5年が経った。
罹災された方々、関係者には忘れえぬ日だ。

1995年1月17日の阪神淡路大震災。
2011年3月11日の東日本大震災。

2つの大震災を横目に見ていた
自分にとって、忘れていた共通点があった。

両日ともに、リアルタイムで生きていたが、
被災することはなかった。
遠く離れた東京にいたからだ。

しかし、両大震災ともに忘れていた共通点を
思い出した。
両日ともに、東京にいながら、あと
6時間で現地に行く予定となっていた。

1995年1月17日は、当時勤めていた会社を
休んで、大阪に行く予定であった。
当日に、大阪の病院に入院していた
母が手術するため、看病に行く予定だったからだ。
しかし、早朝、父の電話でたたき起こされ、
すぐ後に西側への交通網が遮断されたことから
現地に行くことができなかった。

2011年3月11日は、スキーに行くため、
準備をしているところだった。
しかし、スキーに行くため、クルマに
詰め込んだスキーは倉庫に戻すことになった。
行き先予定であった福島で大震災が発生したからだ。

2つの大震災ともに、現地へ行く予定であり、
到着予定時刻の6時間前に震災が発生して、
出発中止となっている。

つまり、6時間早めに到着してれば現地で被災していた。
現地へ赴く出発間際に被災を免れている。

これは、偶然なのだろうか?

自分が、生かされてる意味、
震災時に現地訪問を予定していた意味、
それは何なのであろうか。

日本史に残る大震災の両日に、
現地に呼ばれながら、東京に留まれた
のはなぜか

いまだ、答えは見えていない。
ただ、忘れかけていく記憶の中で、
1月17日、3月11日が来る度に
自分に問い掛けていかなければならない。

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