月別アーカイブ: 2016年3月

この国のプロフェッショナル、会うことのない命の恩人

「命の恩人」とまではいかないかもしれないが、

それに近い存在、とてもお世話になった人は

誰しも思い当たるだろう。

そして、そうゆう方々には当然顔を合わせていることだろう。

だが、命の恩人とも呼べるような人で、一度もあったことがない、

これからも会うことがない人っているのだろうか?

私はいた。というか、いる。

実は、いま現在、4月発売の最新拙著の最終工程にいる。

その原稿は編集者と何度も見直し、潰し込んでいよいよ

最終原稿のチェックという時に、出版社がプロの

校正マン(文字をチェックする人)の点検を入れてくれた。

この道一流の編集者と著者の私が何度も見た原稿。

すでに細かな間違いや不足を点検した精度の高い原稿。

つまり、もう赤字が入らないであろう、

もう読者に届けてもいい原稿をその校正マンに確認いただいた。

さて、追加の赤字は入っただろうか?

これが、出るわ出るわの赤字。つまり修正しなければならない言い回し、

根拠などを字面以上に調べに調べて赤字を入れてくれた。

正直、命拾いに近い箇所まで見つけてくれた。

感謝するとともに、その仕事の精度の高さに驚いた。

その方は、老年の男性と想像していたが、

なんと育児中の女性であった。

これから会うこともない、世間では知られていない方かも

しれないが、この国のどこかで人知れずプロの仕事をしてくれて、

私の仕事を助けてくれていたのだ。

私の仕事の「命」を助けてくれた、その方のためにも

もうすぐ完成する書籍をベストセラー、ロングセラーに

していかなければならない。

 

震災時、なぜ東京にいたのか?

2016年3月11日。

あの東日本大震災からちょうど5年が経った。
罹災された方々、関係者には忘れえぬ日だ。

1995年1月17日の阪神淡路大震災。
2011年3月11日の東日本大震災。

2つの大震災を横目に見ていた
自分にとって、忘れていた共通点があった。

両日ともに、リアルタイムで生きていたが、
被災することはなかった。
遠く離れた東京にいたからだ。

しかし、両大震災ともに忘れていた共通点を
思い出した。
両日ともに、東京にいながら、あと
6時間で現地に行く予定となっていた。

1995年1月17日は、当時勤めていた会社を
休んで、大阪に行く予定であった。
当日に、大阪の病院に入院していた
母が手術するため、看病に行く予定だったからだ。
しかし、早朝、父の電話でたたき起こされ、
すぐ後に西側への交通網が遮断されたことから
現地に行くことができなかった。

2011年3月11日は、スキーに行くため、
準備をしているところだった。
しかし、スキーに行くため、クルマに
詰め込んだスキーは倉庫に戻すことになった。
行き先予定であった福島で大震災が発生したからだ。

2つの大震災ともに、現地へ行く予定であり、
到着予定時刻の6時間前に震災が発生して、
出発中止となっている。

つまり、6時間早めに到着してれば現地で被災していた。
現地へ赴く出発間際に被災を免れている。

これは、偶然なのだろうか?

自分が、生かされてる意味、
震災時に現地訪問を予定していた意味、
それは何なのであろうか。

日本史に残る大震災の両日に、
現地に呼ばれながら、東京に留まれた
のはなぜか

いまだ、答えは見えていない。
ただ、忘れかけていく記憶の中で、
1月17日、3月11日が来る度に
自分に問い掛けていかなければならない。

自己啓発書が苦手な理由

アウトプット(講演・執筆)が仕事なので、

当然、インプット(情報の仕入れ)が欠かせません。

そうすると月間20〜30冊、年間300冊くらいの

書を購入して、読みます。

内訳は、ビジネス書6割、学術論文2割、その他1割です。

その他1割の中には、小説やビジネス書ではない類の書籍が

入ります。

たとえば、先週だと自己啓発書を読みました

『嫌われる勇気』『自分の小さな「箱」から脱出する方法』

がそれです。

が、お風呂に入る40分で1冊読むビジネス書のペースで読めないんんです。

読んでると、つっかえっちゃって、他のことを考えている。

私の脳が論理的なビジネス書を読むことになれきってしまっているため、

概念的に、自分に問いかけるような自己啓発書の書き方は

どうにもリズムがなじまないのです。

もう少し、努力改善しようと思いますが、苦手分野の図書って

あるんだな〜と驚いてます(笑)